著者である新井卓はダゲレオタイプの写真機を用いて作品制作を行い、この方法で作られた『MONUMENTS』でもって、2016年第41回木村伊兵衛写真賞を受賞した。現在もダゲレオタイプで制作を続ける他に、映像作品の制作や学際的な研究など幅広い活動を行っている。本書『百の太陽/百の鏡』(岩波書店刊)は初のテキスト本となる。『現代詩手帖』での連載を中心に、他媒体で掲載したエッセイや書き下ろしも収録され、作品制作に関するエピソードや身辺雑記などを綴っている。
著者が学生時代に詩人を目指していたことを書いたエピソードがある。しかも『現代詩手帖』に作品を投稿し、選ばれた過去があったという。そして将来は詩人になると信じ込み、当時の足掻きを述懐している箇所を読むと、作者の早熟さと感受性の高さが伺える(ちなみに「卓」の字は父親が詩人の清岡卓行からいただいたことを書いている)。そして、詩人の感性をもった彼は数年後、ダゲレオタイプの写真機を携えて、人や時代と向き合うようになる。その視線に先にあるのは、核のエネルギーを抱えた世界であった。
展示された第五福竜丸を撮影していたとき、都内にある展示室で船体を撮影していると、学校の行事で訪れた小学生の団体と遭遇する。子供たちが船体に触れながら歩いている姿を見たときのことを、著者はこう記す。
第五福竜丸の船体をなぞって黙々と周回する子どもたちは、第五福竜丸というモニュメントの表面にこそ、他者の記憶と複数の歴史との出会いが隠されているのだと、無言で指し示していたのではなかったか。モノの表面こそわたしたちが手で触れ、目でなぞるこのできる唯一の場所、モニュメントの境界面にほかならない。(「銀版写真/モノと記憶/極小の記念物」より)
この文脈の先に写真家・新井卓の写真行為に繋がっているのだろう。ダゲレオタイプという機械装置は圧倒的なまでに物理的存在として機能している。写真装置とはまずモノとして在ること、そして生成されるイメージもまた銀版という化学作用の結果によってもたらされるという事実がある。記憶は物質となって刻印され、記録として連綿と受け継がれていく。それは負の側面をもつ歴史についても同様だ。第五福竜丸という物質が、なぜ船であるのに展示室で置かれているのか、この事実がすでに歴史を語っている。
遠野へ行ったときのことを書いたエッセイがあるが、ここで引用されている『遠野物語』からの一文「是目前の出来事なり」を敷衍すれば、本書には目前の出来事が綴られており、ここに著者の揺るぎない姿勢が感じられる。通底しているのは一貫した視点であり、自身のことも含め対象の姿を的確にまなざしている。詩を経由した写真家の姿をここにある。
- 『百の太陽/百の鏡』
著者:新井 卓- 発行:岩波書店
刊行日:2023年7月7日- 判型:四六判・上製・カバー・214ページ
定価:2,970円
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