top 本と展示写真集紹介高井博『やとのじゃぬけ』

高井博『やとのじゃぬけ』

2023/04/13
髙橋義隆

『やとのじゃぬけ』(蒼穹舎刊)というタイトルは、不思議な語感からどのような意味なのか、あるいは方言なのか気になった。
 
あとがきによれば「やと」は谷戸、つまり谷のような地形とそこで営む農業の意味があり、「じゃぬけ」は「蛇抜け」と表記して土石流や山津波を意味しているという。このふたつの単語をあわせた造語が「やとのじゃぬけ」であり、象徴的なタイトルに作品世界が集約されている。
 
作者である高井博は兵庫県丹波市に住み、農業に従事しながら写真を制作している。本作はこの地を中心に撮影しているが、もうひとつ背景がある。
 
2014年8月16日から17日に集中豪雨に見舞われ、土砂災害、家屋の全壊や半壊など甚大な被害に遭った。土を耕しながら農作物を育てることで恩恵を受けながらも、ときに凶暴な態度ですべてを破壊し尽くす自然。作者は「人間讃歌の思いで災害の復旧から復興までの道のりを撮った」という。
 
写真は6×6フォーマットで、対象に対して丹念なまなざしで接している。豪雨の痕跡であろう抉られた地形などもあるが、ある種の美しさと気品さを感じるのは、作者がこの場所に対して敬意を持っているからかもしれない。
 
作者はあとがきで「百姓をしながら地元の写真を撮り続けていく」と書いている。百姓という言葉は近年あまり聞くこともなく、やや差別的な意味合いで言われることもあるが、決してそうではない。網野善彦(歴者学者・故人)によれば百姓は必ずしも農業を営む人を指すのではなく、漁業や林業あるいは鍛冶のような職など、他の生業をもちながら農業も行う人たちのことを指しているという。渡辺尚志(歴史学者)も近い見解を示しているので、歴史学においての共通認識と考えよいだろう。網野は百姓が農業とイコールで結びつけられたのは、明治政府のゆがんだ分け方の影響と推測している。明治維新に対して批判的だった網野らしい見解である。
 
農作物を耕しながら写真家としての顔を持つ高井が、自らを百姓と名乗るのを読んだとき、この場所とともに生きる静かな決意を感じた。

 

関連記事

PCT Members

PCT Membersは、Photo & Culture, Tokyoのウェブ会員制度です。
ご登録いただくと、最新の記事更新情報・ニュースをメールマガジンでお届け、また会員限定の読者プレゼントなども実施します。
今後はさらにサービスの拡充をはかり、より魅力的でお得な内容をご提供していく予定です。

特典1「Photo & Culture, Tokyo」最新の更新情報や、ニュースなどをお届けメールマガジンのお届け
特典2書籍、写真グッズなど会員限定の読者プレゼントを実施会員限定プレゼント
今後もさらに充実したサービスを拡充予定! PCT Membersに登録する